セトナツキ、主夫できる。

ダラダラ主夫ライフ謳歌中。

ADHDは学生生活も楽じゃないよね。でも、意外と周りに理解者は少ない。な話

皆さん。セブンスです。
2018年8月15日。お盆だというのにお天気があまり芳しいとは言い難いですね。
エアコンのつけすぎで体調を崩さないように気をつけてください。
と、私はエアコンを24度に設定した部屋から皆さんを心配しております。
 
早速ですが、私はADHDです。
 
この歳になり、自分で物事を調べ、理解でき、情報の取捨選択をする能力が身について、やっと自分がどういった人物なのかが少し分かりかけています。
 
しかし、自分というものが確立されておらず、周りからの意見やテレビ、インターネット等の膨大な量の情報(概ね正しくないもしくは大多数的な意見)にただ襲われるだけだった幼少期から思春期にかけては私なりに
「自分って何だろう?」
「なんで自分は周りと同じことが出来ないのだろう?」
と考えを巡らせ、悩んでしまったこともありました。
 
そんな時に手を差し伸べてくれるはずの親は
「なぜ同じようにできないんだ」
「ちゃんと学校に行きなさい。」
とやはり大多数的な意見で私を説得するのみでした。
もちろん右にならえの学校的教育は国という機関を維持するには不可欠な意思の共有であると私も理解しているつもりです。
 
しかし、それと同時にその意思共有ができない人間にとってはこんなに苦痛な空間、環境はないなと感じます。
 
「アナタは普通なのよ」
という周囲の圧力の中で生き、そう振る舞おうとする少数派にとっては、なお辛いものなのではないでしょうか。
 
 
「宿題したの?」
「片付けをしなさい!」
母は私によくそう言っていました。
 
 
「宿題をしなきゃ」
「片付けしなきゃ」
わかってはいるのです。
しかし、他の刺激が私の思考に干渉してきます。
「皆はなぜ集中できるのだろう?」
「この雑音が気にならないのか?」
ずっと考えていました。
 
それでも、
「皆と同じように」
「皆ができることができるように」
そう思い、勉強も人より時間はかかりながらも自分ができる範囲で頑張り、それなりの高校に"入ってしまった"がために
周りは私が"普通"である。と思ってしまったようです。
私はそう思われるように努力をしたのですが、普段から"普通"であるように努めるのは精神的な疲労に繋がります。
 
当時を振り返ると
私は"普通"である。と思っていました。
私を普通でないと言う人間がいなかったので何も疑う余地がありませんでした。
だから、皆ができることは私もできるのが"普通"なのだと思っていました。
 
しかし、やはりできないのです。
 
友人と遊ぶ
学校帰りにマクドナルドに寄る
皆で昼食を囲む
 
いわゆる協調性という枠組みの行動が苦手でした。
外では普通でいるために明るく振る舞い委員長や生徒会を率先してやることで
自分に
「まだ皆の中でやれている!」
そう言い聞かせていました。
 
しかし、"本当の自分"と"皆が理想とする自分"の像の乖離が広がれば広がるほど私の足は学校から離れていきました。
 
そんな私が自分がADHDなのだと分かるのはもう少し時間が必要でした。
 
では、また。
 
 

 

 

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